
人的資本経営とは、従業員の知識・スキル・経験など「人」を資本と捉え、その価値を高め企業の持続的成長につなげる経営手法です。近年、この人的資本経営の重要性が増す中で、ビジョンや戦略、人材育成方針といった抽象的な概念を言語化(物事を明確に考え、明確に言葉で伝えること)するスキルが不可欠だと指摘されています。
言語化スキルが欠けていては、せっかくの戦略やノウハウも現場に浸透せず人的資本を十分に活用できません。本レポートでは、言語化スキルが人的資本経営において果たす役割とその理論的背景、さらに国内外の企業における活用事例と教訓について、明確な見出し構成で詳述します。
言語化スキルとは何か
言語化スキルとは、明確に考え、明確に伝えるスキルです。個人や組織が持つ思考・価値観・ビジョン・方針など、抽象的な内容を明確で具体的な言葉に変換する力を指します。簡単に言えば、「頭の中の考えを他者と共有できる言葉にする力」です。これにより組織の方向性や目的が誰にでも理解しやすくなり、メンバー間で共通言語を持つことが可能になります。共通の言葉と理解がなければ人によって解釈がバラバラになり、組織全体で目指すべき道筋を見失ってしまう可能性がありますね。言語化スキルは組織内の認識合わせに不可欠な重要な基礎と言えます。
人的資本経営における言語化スキルの役割
戦略の伝達と浸透
人的資本経営を実現する第一歩は、経営戦略やビジョンを社員一人ひとりにまで浸透させることです。そのために経営陣には戦略を明確なメッセージに言語化し伝えるスキルが求められます。戦略が曖昧なスローガンのままでは現場は戸惑い、成果につながりません。実際、海外の調査では「自社の戦略を理解していない社員は95%にも上る」とも出ています。「戦略の結果が出ない」の前に、「そもそも戦略を理解していない」という状況なのです。omtglobal.com
同時に、トップ自ら各部署で戦略を説明し対話するなど、腹落ちする言葉で伝える努力をした企業は戦略実行に成功しやすいことが報告されています。
また、日本企業でも2023年の人的資本経営の情報開示義務化を背景に、経営戦略と人材戦略を結びつけたストーリーを言語化して投資家や社員に示す動きが広がっています。
このように、言語化スキルは戦略を単なる計画から「現場で実行可能な指針」へと落とし込み、組織全体を同じ方向に導く役割を果たします。
エンゲージメント向上と組織文化の醸成
明確にメッセージを発信することは、社員のエンゲージメント(仕事への熱意や愛着)向上にも直結します。リモートワークの拡大など働き方が多様化する現在では、これまで以上に意図的かつ一貫したコミュニケーションが重要になっています。従業員メンバーが望むコミュニケーションがされていれば、社員の帰属意識やエンゲージメントを強化する効果があります。
組織が実現しようとしている世界が明確になれば、それに賛同する人材が集まります。また日々の業務がその明確なビジョン達成のためになされている感覚を持てれば、エンゲージメントは自然と上がっていきます。例えば、スターバックスは「サードプレイス(自宅でも職場でもない第三の居場所)」という企業ビジョンを明確に言語化し、世界中の従業員と共有していますね。この共有されたビジョンに基づき、店舗のデザインや従業員の接客姿勢に至るまで一貫したブランド文化が醸成されています。
このように言語化された明確な目的意識が社員の共感と誇りを生み、組織文化を形作っているのです。逆に、企業文化や価値観が言語化されていない場合、社員は何を重視すべきか掴めずにモチベーションを失ったり、部門ごとにバラバラな方向に進んでしまう恐れがあります。
組織学習と知識共有(ナレッジマネジメント)
組織が人材という資本の価値を最大化するには、個人が持つ知見やノウハウを組織全体の財産に変えていくことが重要です。暗黙知(頭の中にある経験知や勘所)を放置すると、その人が異動・退職すれば組織から失われてしまいます。そこで求められるのが、知識や経験の言語化です。経営学者の野中郁次郎氏は、知識創造理論SECIモデルの中で「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」というプロセスを示しました。これは個人の暗黙知を表出化(言語化)して形式知にする、そしてそれらを組み合わせて新たな知識を創出し、再び個人の暗黙知として定着させる循環モデルです。
例えばトヨタでは、
・チームでの問題解決を通じた暗黙知の共有(共同化)
・そこから得られた教訓を言語化し、文書として残す(表出化)、
・全社で再統合して、各自現場に展開する
という仕組みを持っています。
このように言語化のプロセスを通じて組織知が蓄積されれば、人の経験が企業の知的資本として残り、イノベーション創出や業務効率向上につながります
人材育成と能力開発
人的資本経営においては、人材ひとりひとりの成長が企業価値の向上につなげることが肝です。そのため、社員の育成計画や評価基準を明確に示すことも言語化スキルの重要な役割です。
例えば「求める人材像」や各職種で必要となるスキルを言語化して定義することで、社員は自身のキャリア開発の方向性を掴みやすくなります。実際、最近の人事戦略ではスキルを見える化した「スキルマップ」の活用など、抽象的な「強み」や能力を言語化して共有する取り組みが注目を集めています。
また、上司がフィードバックを与える際にも言語化力が問われます。的確な言葉で強みや課題を伝え、期待する行動を具体的に指示できれば、部下の能力開発は効率的に進むでしょう。反対に、育成方針があいまいだったりフィードバックが抽象的すぎたりすると、社員は何を改善すべきか分からず成長機会を逸してしまいます。言語化された明確な目標・評価基準・フィードバックがあってこそ、人的資本である「人材」の価値を最大限に引き出すことができるのです。
なぜ言語化スキルなのか?
言語化スキルがこれほど重視されるのには、いくつかの背景や理論的根拠があります。以下、主なポイントを挙げます。
共通言語による組織の一体化: 前述のとおり、ビジョンや戦略を全員が共通に理解できる言葉で定義することで、組織を一つにまとめる効果があります。
言語化された明確な方針があれば、部門や階層を超えてブレない意思決定が可能となり、組織全体で統一した行動が取れるようになります。各メンバーが「組織の一員として何を重視すべきか」「どう行動すべきか」を自覚し、状況が変化しても自律的に判断できる土台となるのです。
エンゲージメントと成果への影響: 社内コミュニケーションの質は従業員エンゲージメントひいては業績に直結します。明確なメッセージで目的や期待値が共有されている社員ほど、自社へのエンゲージメントが高く生産性も向上していきます。
逆にビジョンや戦略が伝わっていない職場では、社員が会社の方向性を理解できず無駄な業務や誤った優先付けが発生し、組織パフォーマンスの低下を招くことになります。
ハーバード・ビジネス・レビューによれば「95%の社員は自社の戦略を理解していない」とも言われ、これを裏返せば戦略や目的を腹落ちするまで言語化し伝達できれば、社員の主体性と成果創出力を大幅に高められることを示唆しています。
知識創造と人的資本の蓄積: 日本発の知識経営理論であるSECIモデルが示すように、暗黙知の言語化(形式知化)は組織的な知識共有・創造の要です。
個人が持つ知見を言葉やマニュアルに落とし込んで初めて、他の社員がそれを学習・活用できるようになります。こうしたナレッジマネジメントの積み重ねが、人という資本に内在する価値を企業全体の価値に変換するメカニズムです。豊富な経験を持つベテラン社員ほど自分のノウハウをうまく言語化できない場合もありますが、経営側がその支援(対話による引き出しやドキュメント化)を行うことが人的資本の維持・継承には不可欠です。
思考の明確化と意思決定質の向上: 言語化は他者への伝達手段であるだけでなく、「考えを結晶化するツール」でもあります。
自分の考えを文章化・説明しようとすると、頭の中にあった曖昧な点や論理の飛躍が露わになり、内容を練り直すことにつながります。米アマゾンでは会議でパワーポイントを使わず6ページの文章メモ(ナラティブ)**を書いてから全員で黙読する文化がありますが、これは「書くことが考えること」であり、明確な文章を書くプロセス自体が企画や戦略の質を高めると信じているからです。
実際この手法により、会議では論点が整理され生産的な議論・迅速な意思決定が行われていると報告されています。このように、言語化スキルは組織のコミュニケーションのみならず、戦略立案や問題解決のプロセスそのものを高度化する効果も持ち合わせています。
多様化する労働環境への対応: 現在、多くの企業で多様なバックグラウンドの人材が働き、さらにリモートワークによって直接顔を合わせる機会が減っています。こうした環境下では従来以上に「共通の前提」を意識して言葉にする努力が必要です。例えば対面コミュニケーションであればニュアンスで伝わっていたことも、オンラインでは明文化しなければ伝わりません。多様な人々が誤解なく協働するには、ビジョンやバリューを平易な言葉で定義し直し、全員に共有する工夫が欠かせないのです。言語化スキルはダイバーシティ時代の組織運営を円滑にし、心理的安全性の高い職場づくり(お互いが遠慮なく質問や意見表明できる関係性の醸成)にも寄与します。
以上のような観点から、言語化スキルは人的資本の価値最大化において重要な鍵を握っています。
言語化スキルの企業における活用事例
成功事例:言語化が組織力を高めた企業
スターバックス – 前述のとおり、「第三の居場所」というビジョンを明確に言語化し世界中で共有したことで、店舗ごとのサービス品質にばらつきがなく一貫したブランド体験を提供することに成功しました。
明文化されたビジョンに基づき従業員一人ひとりが行動指針を持つことで、社員のエンゲージメントも高く保たれています。
トヨタ自動車 – 製造業における「現場重視」の哲学を「現地現物」という言葉で表現し、さらに各自がやるべきことを言語化し、全社に浸透させました。単にスローガンとして掲示するだけでなく、不具合発生時には必ず現場に行って状況を確認し根本原因を究明するという具体的な行動規範として定着させました。この結果、全社員が共通の問題解決手法で動く文化が築かれ、高い品質管理と生産性向上に寄与しています。
アマゾン – 社内文化としてドキュメンテーション(文章化)を重視している企業です。新規プロジェクトの提案や会議では必ず詳細な書面を用意し、参加者全員がそれを読む時間から始めます。
この「6ページメモ」に代表される取り組みにより、提案者はアイデアを論理的に整理・言語化することを求められ、チーム全体でも認識合わせが進みます。事実、アマゾンではこのプロセスによって関係者間の共通理解(コンセンサス)を速やかに形成し、迅速な意思決定と実行力強化を図っているといいます。
明晰な文章を書く訓練がそのまま社員の思考力・伝達力を鍛え、組織力の向上につながった好例と言えるでしょう。
その他の企業: 多くの企業が自社の人的資本戦略を言語化して活用しています。例えば、米国の大手IT企業では社是やバリューをカードやアプリでいつでも閲覧できるようにし、社員が意思決定時に立ち返れる「基盤となる言葉」を提供しています。また、日本企業でもリクルートやサイバーエージェントなど人材育成に注力する企業は、経営理念・人事ビジョン・コンピテンシーモデルを明文化し社員研修で繰り返し共有しています。こうした事例は大小・国籍を問わず見られ、言語化スキルの活用が普遍的な経営課題であることを示しています。
言語化不足による課題・教訓
言語化が十分でない場合、組織にはどのような弊害が生じるでしょうか。その教訓となる事例も確認しておきます。典型的なのは、スローガン倒れに終わってしまうケースです。要は、「言葉を作っただけ」で終わってしまうということですね。例えば、「イノベーション志向」という抽象的な標語だけが掲げられているケースがあります。しかしそれを実現する具体的な行動指針や目標が示されなければ、現場は戸惑い逆に成果が出ません。
ゴールだけ示されても人は動かず、言葉と行動を結びつけてこそアクションにつながる、という点を忘れてはいけません。言語化は単に方針を表明するだけでなく、「それを受けて自分は何をすべきか」まで示す必要があります。
また別の観点では、社内コミュニケーションが不足し戦略の意図が伝わっていなかったためにプロジェクトが頓挫したり、改革への抵抗が強まったりした例も数多く存在します。これらの教訓は、企業が変化や挑戦に臨む際には、ビジョンや戦略を徹底的に言語化し対話を尽くすことが成功の前提条件であることを物語っています。
おわりに
言語化スキルは人的資本経営を効果的に推進する上で、なくてはならない要素です。戦略の浸透、社員エンゲージメントの向上、知識の共有、人材育成の促進と、あらゆる局面で言語化の力が組織のパフォーマンスを左右します。
言語化による共通理解が組織を一つにまとめ、自律的な行動を支えること、そして明確なコミュニケーションが社員のモチベーションと能力発揮を最大化することが納得感が高いと思います。実際の企業事例からも、その効果と不足した場合のリスクが明らかになりました。昨今のように事業環境がめまぐるしく変化し働き方も多様になるほど、ビジョンや戦略を意識的に言語化し共有する重要性は増す一方です。
今後も企業が人的資本という貴重な資源の価値を最大化していくために、経営者から現場リーダー、人事担当者に至るまで組織横断で言語化スキルを磨き、高い解像度のメッセージで組織を牽引していくことが求められるでしょう。
この記事を書いた人

木暮太一
(一社)教育コミュニケーション協会 代表理事・言語化コンサルタント・作家
14歳から、わかりにくいことをわかりやすい言葉に変換することに異常な執着を持つ。学生時代には『資本論』を「言語化」し、解説書を作成。学内で爆発的なヒットを記録した。ビジネスでも「本人は伝えているつもりでも、何も伝わっていない!」状況」を多数目撃し、伝わらない言葉になってしまう真因と、どうすれば相手に伝わる言葉になるのかを研究し続けている。企業のリーダーに向けた言語化プログラム研修、経営者向けのビジネス言語化コンサルティング実績は、年間200件以上、累計3000件を超える。

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